死にたいと思いながら生きるということ
死にたいと思うようになったのはいつからだろう。
少なくとも幼少期にそんなことは思わなかったはずだ。
小さい頃から私は母が好きで、姉達が好きだった。
でも私は家族の中で一番年下だから、大好きなみんなは先に死んでしまって、自分は最後まで生き残る。
私はみんなに置いていかれるんだと、4.5歳くらいの時だろうか、その事実に気付いて、怖くて泣いた。
その時が、人生ではじめて「死にたい」と感じた時だったのかもしれない。
母は、私が将来子を持てば一人ではないのだよ、それに、お母さんは死んだりしないと私をなぐさめた。
その当時の私は、いもしない子に希望を持てるほど心は成熟していなかったし、かといって、母が不死身だと思えるほど幼くもなかった。
ただただ大切に思う誰かがいなくなるということが怖くて怖くて仕方なかった。
今はどうだろう、何故死にたいのか。
私は今、たくさんの辛く感じた出来事を何年経っても引きずり、克服できず、自分がボロボロで穴だらけだと思っている。
しかし実際の私の体には傷ひとつない。
手首を切るような、自傷行為もしたことはない。
それどころか、二十数年生きてきた中で、幸せだと感じたことは何度もある。
それでも私の中の「死にたい」は、どうしても消えてはくれないのだ。
ただただ、心が癒されることもないまま、過剰に傷つき続ける自分自身にだって嫌気が差している。
さて、こいつをどうしてくれようか。
何故死なないのか、何故生きているのかと自分に問えば、
これ以上、誰かを失う悲しみを大切な人にさせたくないから、というのがやはり一番だろうか。
どんなに生きていてほしいと願っても、死は容赦なく愛する人に襲い掛かる。
それがどれほど残酷か、私が一番分かっているはずだ。
失う怖さを、これ以上誰かに感じさせたくはない。
もしも私が私だけのことを考えてもいいならば、今すぐ死にたい。
ずっとそう思ってきた。
それでも私は誰かを悲しませたくはない。
ならばその人達がもし皆先に死んでしまったら、私はすぐにでも死ぬのだろうか。
偽善者ぶって、本当はただ自分にも襲ってくる死が怖いだけで生きているだけなんじゃないか。
まあ、そんな真相のないことを考えても仕方はないのだけど。
私は今日も死にたいと思いながら生きている。
それがどれほど平和で、贅沢で、愚かなことなのか、頭では分かっていても、やはり実感することはできない。
私の頭には、何か重要なネジが足りていないのだろう。
だからところどころがガタついて、壊れそうになる。
いつか、「生まれてきて良かった」と心から思うことが、ずっと目標だった。
いまだそんなことは思えていないが、
これから先、もしどこかでそう思うことができたなら、今ぐだぐだと言い訳をして生きていることも、何かしらの意味を成すのだろう。