自分を大事にするということ
「もっと自分を大事にして」
この言葉は私にとって、何か持ちたくないもの、例えるなら生ゴミとか、野性動物の死骸とか、そういうものを、「これを大事に持っていてね」と言われているのと同じだ。
だけど、私にとっての持ちたくない「それ」は、誰かにとっては大切なものかもしれない。
だから嫌でも、苦痛でも、持っていないといけない。
そんなことを考えながら、今週を過ごしている。
眠っている間は、何かに怒っていたり、不安がっている夢を見て、
起きている間は、Yahoo!知恵袋でとにかく死にたがっている人の質問を読み、自分の感覚だけが異常なわけではないことにやや安堵する。
毎日毎日、誰でもない私自身が私に向かって
「なんで生きてるんだ」
「お前みたいな何の価値もないクズ、早く消えろ」
「お前はいらないんだ。何故分からない?」
と、囁き続ける。
どんなに他人に肯定されても、結局のところ自分自身が私という存在を全否定してくるのだ。
ただ、ここで死ぬことが出来れば、私は楽になれるだろう。
今私が抱えている苦しさや悲しさ、これ等が私という存在と共に消えてくれるならば。
しかし、現実はそうではない。
この苦しさは、形を変えて「私以外の人」に乗り移る。
どんな形だったとしても、私を大切に思っていた人の心に乗り移り、またその人を容赦なく蝕み続けるだろう。
自分の価値を見出だせないからこそ、そんな自分が救われるために他の誰かに苦しさを押し付けるような真似は避けたい。
例え私にどんな理由があったとしても、それがその人を苦しめて良い理由にはならないのだから。
死ぬことはできない。
ただ「自分」という存在を嫌悪し、持ち続けることもできない。
自傷紛いのことをしても、それで何かが救われるわけでもない。
私は頭がおかしい。
ただそれだけだろうか。