悲観的なポジティブ

メンヘラとジャイアンのサラブレッドです。

自分を大事にするということ

 

 

 

「もっと自分を大事にして」

 

この言葉は私にとって、何か持ちたくないもの、例えるなら生ゴミとか、野性動物の死骸とか、そういうものを、「これを大事に持っていてね」と言われているのと同じだ。

 

だけど、私にとっての持ちたくない「それ」は、誰かにとっては大切なものかもしれない。

 

だから嫌でも、苦痛でも、持っていないといけない。

 

そんなことを考えながら、今週を過ごしている。

 

眠っている間は、何かに怒っていたり、不安がっている夢を見て、

 

起きている間は、Yahoo!知恵袋でとにかく死にたがっている人の質問を読み、自分の感覚だけが異常なわけではないことにやや安堵する。

 

 

毎日毎日、誰でもない私自身が私に向かって

「なんで生きてるんだ」

「お前みたいな何の価値もないクズ、早く消えろ」

「お前はいらないんだ。何故分からない?」

と、囁き続ける。

 

どんなに他人に肯定されても、結局のところ自分自身が私という存在を全否定してくるのだ。

 

ただ、ここで死ぬことが出来れば、私は楽になれるだろう。

今私が抱えている苦しさや悲しさ、これ等が私という存在と共に消えてくれるならば。

 

 

しかし、現実はそうではない。

この苦しさは、形を変えて「私以外の人」に乗り移る。

 

どんな形だったとしても、私を大切に思っていた人の心に乗り移り、またその人を容赦なく蝕み続けるだろう。

 

自分の価値を見出だせないからこそ、そんな自分が救われるために他の誰かに苦しさを押し付けるような真似は避けたい。

 

例え私にどんな理由があったとしても、それがその人を苦しめて良い理由にはならないのだから。

 

 

死ぬことはできない。

ただ「自分」という存在を嫌悪し、持ち続けることもできない。

 

自傷紛いのことをしても、それで何かが救われるわけでもない。

 

私は頭がおかしい。

 

ただそれだけだろうか。

 

 

一先ず、さようなら

3月末から休職しだして、早2ヶ月。

医者からは復帰の診断書が出た。

 

しかし、会社からは一向に復帰許可の連絡がこない。

 

焦りがある。不安がある。私の中の自己価値ががどんどん落ちていく。

 

ある朝、どうしようもなく辛くて涙が止まらなくて、ありったけの抗不安薬を胃に流し込んだ。

 

それで死ねるとは思っていなかった。

ただ意識を失いたい。それだけだった。

 

薬をのみ続けている最中、滅多に連絡など来ない叔母からなんでもないLINEが届いた。

 

「何かに止められているな」と感じ、

叔母に薬を大量に服用したことを話した。

 

意識がもうろうとする中「すぐに吐き出せ」と言われたことだけは分かったので、言われるがままに吐き出した。

 

吐き出したものは、真っ青で、泡立っていた。

白い粒の薬でも、溶けると青くなるのかと、感心した。

 

その後は数時間気絶し、夕方外出した際には壁にぶつかりながら歩いた。

 

あのまま吐き出さずに飲み込んでおけば、起きずにすんだのだろうか。わからなかった。

 

 

次の日は、お腹は空くが食べ物か体に吸収されるのが嫌で、食べては自ら吐き出すを繰り返した。

 

吐き出せると、不思議と安心した。

でも、胃も痛いし体も重たかった。

 

私の心は、たぶん生まれた時から生きていくのに適してなかったんだろう。

 

だからこんなにも「死にたい」と思うのだろう。

 

愛してくれる人がいても、その人の愛が私の心まで届かない。

 

欠陥品だ。

使い物にならない。

 

人生は壮大な暇潰しとは、よく言ったものだ。

 

頼むからこの世から消えさせてくれ、率直にそう思う。

 

休職復帰をすれば、もっと規則正しく、健康的に過ごせるのだろうか。

 

きっとそんなことはない。

罪悪感や、自分の無力さに打ちのめされるだろう。

 

臓器は必要とする人にあげて、私と言う人間は早くいなくなりたい。

 

そう思ってやまない。

 

 

休職を経験した私の現状について

 

 

3月末から休職開始。

当初の予定は1ヶ月だったが、4月末の状態は極めて悪く、もう1ヶ月延伸。

 

社会から離れれば離れるほど、私は一生「普通」に戻れないのではないかと不安感は膨らんでいった。

 

 

しかし今現在はと言うと、心療内科で出された鬱病治療薬が効いているからか、それとも単純に回復してきたからなのか、食欲が戻り、気力も以前より出るようになった。

 

これならば5月末には会社に復帰ができる、と思うのだが、とにかく不眠だけが治らない。

 

眠りに落ちるまでの間と、目覚めるまでの間、簡単に言えば「寝ぼけている間」、私は頭が制御できなくなる。

 

思考が暴走し、パニックになり、目を覚ます。目を覚ますことが出来ればまだマシなほうだ。

 

パニックになったまま目を覚ましきることもできず、金縛りのような状態で何時間も過ごす夜もあった。

 

睡眠薬が倍になった最初の夜は、地獄のような一夜だった。

 

それからはその感覚が怖くて、例え3時間しか眠れないことが分かっていても、倍になる前の量しか薬を飲んでいない。

 

 

毎日、夜が来るのが怖い。

2、3日ごとに昼間に限界が来て、2時間ほど仮眠することがある。

 

こんなんで本当に社会へ戻れるだろうかと、不安にもなる。

 

昔から元々眠りは浅く、もはや不眠が癖になっているのかもしれない。

 

休職により社会から切り離される孤独感にも、そろそろ限界を感じてきた。

 

なにか解決方法はないものだろうか、というのが、最近の悩み事だ。

 

 

 

 

無気力からの脱出方法があるなら教えていただきたい

 


休職5日目。

 

元々朝型で、どんな時でも夜11時には眠気が襲ってくるのが当たり前だった。

 

しかし元から眠りは浅く、睡眠剤を飲んでも2~3時間に一回は目を覚ます始末。

 

1日の中で「眠る」という行動は、私の中ではハードルの高いもののひとつだ。

 


休みに入ると、不眠はさらに悪化した。

 

まず、普通に働いている時より圧倒的に活動量が減る。それにより身体的な疲労から来る眠気が恐らく激減しているのだろう。

 

しかしなぜか慢性的な疲れは取れず、しんどくなってとりあえず横になる。

 

この状態では、頭は冴えているのに体は重い。
やることは思い付くのに行動に移せない。

 

起きていても、食欲もなければ、お風呂に入るのも面倒。

 

とにかく「何もできない」のだ。

 

自分は元からこんなに怠け体質だったろうか。

 

それとも、誰の目もないのを良いことに、潜在的な「サボりたい、怠けたい」意識が爆発したのだろうか。

 

どちらにせよ、自分が今「サボっている」という意識はどうしても拭えず、とても休めているとは言い難い。

 

こんな世の中では気晴らしに遊び歩くということもできないし、かといって家で一人、一日中言葉を発することなくただ生きているのも考えものだ。

 

何か出来ることはないか、どうしたら私はまた社会に出ていけるのだろうか。

 

焦りや不安が次々と生まれ、頭の中は悲観的なイメージで一杯だ。

 

明らかな悪循環。

 

しかし自分で自分の尻を叩き、外に押し出すこともできない。

 

わたしと同じ理由で休職する世の中の方々は、日々何をしているんだろう。

 

同じように無気力なのか、それとも何か好きなものに触れ、心を癒しているのか。

 

誰かに上手く相談することもできず、ただただ時間が流れる。

 

焦る。不安だ。眠れない。

 

ここから一刻も早く抜け出すことが、今週の目標なのかな。

 

 

 

死にたいと思いながら生きるということ

 

 

 

 

死にたいと思うようになったのはいつからだろう。

 

少なくとも幼少期にそんなことは思わなかったはずだ。

 

小さい頃から私は母が好きで、姉達が好きだった。

 

でも私は家族の中で一番年下だから、大好きなみんなは先に死んでしまって、自分は最後まで生き残る。

 

私はみんなに置いていかれるんだと、4.5歳くらいの時だろうか、その事実に気付いて、怖くて泣いた。

 

その時が、人生ではじめて「死にたい」と感じた時だったのかもしれない。

 

母は、私が将来子を持てば一人ではないのだよ、それに、お母さんは死んだりしないと私をなぐさめた。

 

その当時の私は、いもしない子に希望を持てるほど心は成熟していなかったし、かといって、母が不死身だと思えるほど幼くもなかった。

 

ただただ大切に思う誰かがいなくなるということが怖くて怖くて仕方なかった。

 

 


今はどうだろう、何故死にたいのか。

 

私は今、たくさんの辛く感じた出来事を何年経っても引きずり、克服できず、自分がボロボロで穴だらけだと思っている。

 

しかし実際の私の体には傷ひとつない。
手首を切るような、自傷行為もしたことはない。

 

それどころか、二十数年生きてきた中で、幸せだと感じたことは何度もある。

 

それでも私の中の「死にたい」は、どうしても消えてはくれないのだ。

 

ただただ、心が癒されることもないまま、過剰に傷つき続ける自分自身にだって嫌気が差している。

 

さて、こいつをどうしてくれようか。

 

何故死なないのか、何故生きているのかと自分に問えば、

 

これ以上、誰かを失う悲しみを大切な人にさせたくないから、というのがやはり一番だろうか。

 

どんなに生きていてほしいと願っても、死は容赦なく愛する人に襲い掛かる。

 

それがどれほど残酷か、私が一番分かっているはずだ。

 

失う怖さを、これ以上誰かに感じさせたくはない。

 

もしも私が私だけのことを考えてもいいならば、今すぐ死にたい。


ずっとそう思ってきた。

 

それでも私は誰かを悲しませたくはない。

 

ならばその人達がもし皆先に死んでしまったら、私はすぐにでも死ぬのだろうか。

 

偽善者ぶって、本当はただ自分にも襲ってくる死が怖いだけで生きているだけなんじゃないか。

 

まあ、そんな真相のないことを考えても仕方はないのだけど。

 

 

私は今日も死にたいと思いながら生きている。

 

それがどれほど平和で、贅沢で、愚かなことなのか、頭では分かっていても、やはり実感することはできない。

 

私の頭には、何か重要なネジが足りていないのだろう。

 

だからところどころがガタついて、壊れそうになる。

 

 

いつか、「生まれてきて良かった」と心から思うことが、ずっと目標だった。

 

いまだそんなことは思えていないが、
これから先、もしどこかでそう思うことができたなら、今ぐだぐだと言い訳をして生きていることも、何かしらの意味を成すのだろう。

 

 

 

意識と体について

 

 

 

 

全部で17件ある、携帯に残された「鬱」というタイトルのメモ。

 

見返してみると、そのほとんどは家族のこと、そして恋人のことについて書かれている。

 

どうやら私は人と親密に関わるごとに心を病んで、苦しんでいたらしい。

 

メモを書いた私は、相手への愛情や依存心で自分が歪んでいくことを恐れ、いつもそこから離れることを想像していた。

 

しかしそのどれもが共通して、自分の中で完結していた。

 

相手の感情などまるで想像せず、私は狭い「私」という入れ物の中でグルグルと暴れまわっているだけのようだった。

 


いつだって、頭の中から次々と言葉が溢れてくる。

 

言葉でパンクしてしまわないように、それらを外に出してあげることで、頭の整理をする。

 

自分の感情を言葉にしてノートに書くことは、膨らんで積み重なったたくさんの洋服を、圧縮袋に詰めるような感覚だ。

 

これが二十歳を過ぎた頃からの私の対処法だった。

 

実際、ぐちゃぐちゃな感情をすべて言葉にしてしまえば、少しは心も落ち着いた。

 

それでも、悩み、苦しみ、いっぱいいっぱいになると、感情ばかりが暴走して、自分の輪郭が見えなくなる。

 

それなのに視界には私とされる手や足があり、もう少し感覚を澄ませば皮膚があり、それが私の周りにへばりついている。

 

それが少し気持ち悪い。
思考や感覚ばかりが先行して、体が置いてきぼりになっているのだろう。

 

もしも体が無くなって、意識だけで存在できれば私はもっと楽になれるのに、と、時々思う。

 

どうしたら楽になれるか、どうしたら苦しくなくなるか。

 

そればかり考えて、良いように動いてきたつもりが、ついにはおかしくなってしまった。

 

 

これから私はどうしたらいいのだろう。
どうなってしまうのだろう。

 

 

 

壊れた私と1ヶ月過ごしてみて

 

 

 

 

ことの発端は不妊が見つかったことだろうか。

 

将来必ず母親になりたい。
だから少しでも婦人科系で不安があったら病院へ行っていたのに、まさか、どうして。

 

最初は理解ができなかった。


次第に「私は母親になれない」と思うようになった。

 

実際のところは治療をすれば不可能ではないのだろうけど、癌で身内を亡くしているから、治療薬と癌リスクの因果関係が気になり、投薬に踏み切れなかった。

 

ただ私はこれを治せない、母親にはなれないんだと強く思った。

 

仕事も繁忙期に入り、朝早く出社し夜遅く帰る生活が続いた。

 

最初に壊れたのは涙腺だった。
ところ構わず涙が出るようになった。
電車でも、家でも、会社でもどこでも。

 

次に熱が下がらなくなった。
流行りの肺炎かと思ったが、呼吸器系に異常はない。

 

4日続いた時点で念のため保健所に連絡したが、検査対象ではないと言われたため37.0℃を切るようになってから仕事に復帰した。

 

その間休んだのは1週間。

 

この時点で精神的にきていることが自覚できていたので、大学時代お世話になっていた心療内科を受診。

 

症状を話し、鬱と不安障害だろうと言われた。


「だろうな」と思ったのが正直なところだ。

 

正常とは言えない実家を飛び出して、就職とほぼ同時に一人暮らしを始めた手前、
実家に帰ろうと思うことも、両親に相談しようと思うこともなかった。

 

心療内科で薬を何種類か貰い、また元通りの生活が始まった。

 

早いと7時半に出社し、遅いと21:00を過ぎる頃に退社。


周りには私よりも働いている人は沢山いたが、理解しきれているとは言えない仕事を溜め込み、目まぐるしい早さで1日が終わる生活は苦しかった。

 

2週間ほどその生活を続け、次に壊れたのは耳だった。

 

両耳が飛行機の離陸の時のように詰まるようになり、日に日にその症状は増していく。

 

耳鼻科にかかったが、やはりこれもストレス性。

 

両耳とも聴力が落ち、右耳にいたっては正常値を下回っていた。

 

この段階でようやく、これはヤバイぞ、と思うようになる。

 

死にたい、死にたいと思っていた癖に、いざ体に明確な不調が現れると急に不安になった。

 

耳が聴こえなくなりたくない、死にたくない。

 

幸い会社の制度に詳しくなれるような部署にいたため、休職までの手順は分かっていた。

 

上司に相談し、心療内科で診断書をもらい、1ヶ月の休職が決定。

 

休職して戻れなくなったら、とか
復帰したとしてもこれまでと同じように働けるのか、とか

不安なことはたくさんある。

 

でも私は「修復不可」にはなりたくない。

 

眠れなくなって、食べられなくなって、
他人から見てわかるほど痩せて、パニックを起こして、仕舞いには耳。

 

もし私が私ではなく、私という存在を大切に思う誰かだったとしたら、とにかく一度休んでほしい。

 

一度安らかに暮らして、それから先のことを考えてほしい。

 

愛してくれる人のために、心配してくれる人のために、私は私を修復しなければ。