悲観的なポジティブ

メンヘラとジャイアンのサラブレッドです。

壊れた私と1ヶ月過ごしてみて

 

 

 

 

ことの発端は不妊が見つかったことだろうか。

 

将来必ず母親になりたい。
だから少しでも婦人科系で不安があったら病院へ行っていたのに、まさか、どうして。

 

最初は理解ができなかった。


次第に「私は母親になれない」と思うようになった。

 

実際のところは治療をすれば不可能ではないのだろうけど、癌で身内を亡くしているから、治療薬と癌リスクの因果関係が気になり、投薬に踏み切れなかった。

 

ただ私はこれを治せない、母親にはなれないんだと強く思った。

 

仕事も繁忙期に入り、朝早く出社し夜遅く帰る生活が続いた。

 

最初に壊れたのは涙腺だった。
ところ構わず涙が出るようになった。
電車でも、家でも、会社でもどこでも。

 

次に熱が下がらなくなった。
流行りの肺炎かと思ったが、呼吸器系に異常はない。

 

4日続いた時点で念のため保健所に連絡したが、検査対象ではないと言われたため37.0℃を切るようになってから仕事に復帰した。

 

その間休んだのは1週間。

 

この時点で精神的にきていることが自覚できていたので、大学時代お世話になっていた心療内科を受診。

 

症状を話し、鬱と不安障害だろうと言われた。


「だろうな」と思ったのが正直なところだ。

 

正常とは言えない実家を飛び出して、就職とほぼ同時に一人暮らしを始めた手前、
実家に帰ろうと思うことも、両親に相談しようと思うこともなかった。

 

心療内科で薬を何種類か貰い、また元通りの生活が始まった。

 

早いと7時半に出社し、遅いと21:00を過ぎる頃に退社。


周りには私よりも働いている人は沢山いたが、理解しきれているとは言えない仕事を溜め込み、目まぐるしい早さで1日が終わる生活は苦しかった。

 

2週間ほどその生活を続け、次に壊れたのは耳だった。

 

両耳が飛行機の離陸の時のように詰まるようになり、日に日にその症状は増していく。

 

耳鼻科にかかったが、やはりこれもストレス性。

 

両耳とも聴力が落ち、右耳にいたっては正常値を下回っていた。

 

この段階でようやく、これはヤバイぞ、と思うようになる。

 

死にたい、死にたいと思っていた癖に、いざ体に明確な不調が現れると急に不安になった。

 

耳が聴こえなくなりたくない、死にたくない。

 

幸い会社の制度に詳しくなれるような部署にいたため、休職までの手順は分かっていた。

 

上司に相談し、心療内科で診断書をもらい、1ヶ月の休職が決定。

 

休職して戻れなくなったら、とか
復帰したとしてもこれまでと同じように働けるのか、とか

不安なことはたくさんある。

 

でも私は「修復不可」にはなりたくない。

 

眠れなくなって、食べられなくなって、
他人から見てわかるほど痩せて、パニックを起こして、仕舞いには耳。

 

もし私が私ではなく、私という存在を大切に思う誰かだったとしたら、とにかく一度休んでほしい。

 

一度安らかに暮らして、それから先のことを考えてほしい。

 

愛してくれる人のために、心配してくれる人のために、私は私を修復しなければ。