悲観的なポジティブ

メンヘラとジャイアンのサラブレッドです。

意識と体について

 

 

 

 

全部で17件ある、携帯に残された「鬱」というタイトルのメモ。

 

見返してみると、そのほとんどは家族のこと、そして恋人のことについて書かれている。

 

どうやら私は人と親密に関わるごとに心を病んで、苦しんでいたらしい。

 

メモを書いた私は、相手への愛情や依存心で自分が歪んでいくことを恐れ、いつもそこから離れることを想像していた。

 

しかしそのどれもが共通して、自分の中で完結していた。

 

相手の感情などまるで想像せず、私は狭い「私」という入れ物の中でグルグルと暴れまわっているだけのようだった。

 


いつだって、頭の中から次々と言葉が溢れてくる。

 

言葉でパンクしてしまわないように、それらを外に出してあげることで、頭の整理をする。

 

自分の感情を言葉にしてノートに書くことは、膨らんで積み重なったたくさんの洋服を、圧縮袋に詰めるような感覚だ。

 

これが二十歳を過ぎた頃からの私の対処法だった。

 

実際、ぐちゃぐちゃな感情をすべて言葉にしてしまえば、少しは心も落ち着いた。

 

それでも、悩み、苦しみ、いっぱいいっぱいになると、感情ばかりが暴走して、自分の輪郭が見えなくなる。

 

それなのに視界には私とされる手や足があり、もう少し感覚を澄ませば皮膚があり、それが私の周りにへばりついている。

 

それが少し気持ち悪い。
思考や感覚ばかりが先行して、体が置いてきぼりになっているのだろう。

 

もしも体が無くなって、意識だけで存在できれば私はもっと楽になれるのに、と、時々思う。

 

どうしたら楽になれるか、どうしたら苦しくなくなるか。

 

そればかり考えて、良いように動いてきたつもりが、ついにはおかしくなってしまった。

 

 

これから私はどうしたらいいのだろう。
どうなってしまうのだろう。